最近のタバコケースの警告文や喫煙者への反応って、何だか異常じゃないですか!?
私は過剰反応すぎると思います。
(ちなみに私が愛煙家だから言うわけではありません)
あんまり何かに注目して、それを対象に攻撃するのは好ましい結果を生みません。
過去の記事 「そこに愛はあるのかい?」でも、少し触れていますが、最近のオーガニックブームもこの傾向の一つです。
もともと、農作物の収穫高が不安定であることは昔の人々にとって死活問題でした。
不作の年には死者が多く出てしまうからです。
そこで、農薬というものが生まれました。
そうです!農薬も二度と餓死者が出ないようにという「愛を持って」作られたものなのです。
目次
タバコ生産者にも愛はあるでしょう!
タバコを生産している人も、喫煙者に対して愛を持ってタバコを作っているはずです。
「エヘヘ、体 悪くな~れ」
こんなに悪意をもって生産されるものは、すでにこの世にあるはずがありません。
悪意を持って商売を行うのは詐欺師のみです。詐欺を働いていると、一時はいい思いをするかもしれませんが、いずれ淘汰されていきます。詐欺自体も私は必要悪として生まれていると思っていますが、というのは商取引上の法律の不備などの盲点を突いて詐欺は行われるからです。このような詐欺があるからこそ、商取引の法律がより強化されて本当に我々が安心して生活できる社会になっていくと思います。
詐欺の話はさておき、タバコ生産者も
「もっと美味しく吸えるように・・・」
「もっと非喫煙者に害がないように・・・」
こんなように考えてタバコを生産しているに違いありません。
やっぱり愛はあるね。
非喫煙者の異常な反応
先日、街中にある喫煙所でタバコを吸っていたときのことです。
子供を連れた非喫煙者の方が、わざわざこの喫煙所に近い場所を歩いてきて、その通り際に
「くさっ! ○○くん(※子供の名前)息を止めなさい。」
って言ってました。
そんなに嫌だったら、煙が届きそうな範囲を歩かなければよいのです。
他にも異常な反応として、次のようなことがありました(聞いた話ですが)。
あるドラッグストアで買い物をしている人の話です。その人はレジに並んでいました。
すると清算済みであろう茶髪の女性が、同じくチャラチャラとした格好をした女性と大きな声で話しをしていました。
ずっと立ち話をしているものですから、レジを通過した後の通路の結構な幅を塞いでいました。
その後2人の女性は、障害者用駐車スペースに停めてあった車に乗って颯爽と帰っていったそうです。
話をしてくれた人は、この光景を見て非常に腹が立ったらしいです。
でもね。
きっとそういう事じゃないんだよね。
私が思うのは、この話してくれた人に対して
「自分で勝手に腹を立てている。」
と思いました。
というのは、腹が立ったのであれば、文句を言う勇気を持っている人は、言います。
「ちょっと、そこをどきなさい」 とか
「そこに健常者は車を止めてはいけませんよ。」 とか
でもその前に
その人たちの行動で、話をしてくれた女性は実際に困ったのでしょうか。
聞いてみると、まだレジの前だったらしいので実害として困ってはいませんでした。
ただそういう行動を見て、「自分の中の常識と合わない」ので、腹が立ったらしいです。
文句も言わずに腹を立てているのもどうかと思いますし、逆に文句を言うのはもっとどうかしていると思います。(実害を受けていないのであれば)
困ってもいないのに、他人の言動を裁いているって、どんだけ自分が偉いんだ!?
自分の正義が社会のルールか!?
一見この相談してくれた女性が、社会常識的に正しいとされやすい話ですが、こうして考えてみるといかがですか?
これも過剰反応の一つではないでしょうか。
警告文について
心筋梗塞のリスクが、非喫煙者に対して1.7倍高くなります。
ってことは、心筋梗塞自体が1000人に1人しかならない病気だとすると、タバコを吸っていた場合1000人に1.7人になるわけですよね。
それってそんなに体に悪いと言えますか?
確率論的にばらつきの範囲かもしれませんよ。
「そんなことは、お前が喫煙者だから言う屁理屈だ!」
と言われるかもしれません。
ま、当然屁理屈ですよね。
ではこういう事は、どうでしょうか?
例) 車の運転
「自動車を運転する人は、交通事故や交通死亡事故を起こす可能性が、自動車を運転しない人に比べて、約30倍高くなります。」
例) 電車への乗車(女性)
「電車に乗る人は、電車に乗らない人に比べて、痴漢に遭う確率が200倍高くなります。」
このように、この世の中にあるものなんていうのは、比較しようと思ったらいくらでも比較できてしまうのです。
結論ありきで比較した場合、その言い方によっていくらでも悪い印象で結論づけることも可能なのです。
まとめ
些細な事かもしれませんし、屁理屈かもしれませんが、私が言いたいのは
「物事というのは、見る視点によって解釈は変わる。」
ということなのです。
車の例や、電車の例も、見る視点によっては大問題ですし、我々の恐怖を煽ります。
しかしそれは、そういうものだという認識で普段我々は生活をしています。
恐ろしいことですが、こんな些細なことも「情報操作による洗脳」かもしれません。
私たちが「信じている」事や物なんていうのは・・・
結局自分の視点なのです。
しかもそれは何度も聞いたか、誰かに言われたか、であることがほとんどです。
思いつきで書き始めた記事でしたが、結構深いところにまで行ってしまいましたね。
自分の軸をしっかりと持って生活していきましょう。
あ、最後に告知です。
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