技術論と考え方

相対的に考えれば分かる!善と悪


善と悪は相対的なもの


善悪は、相対的なものだと私は考えています。

前回「なぜ最善・最良の総和が良くならない!?」で少し紹介しました。

 

法律を守っているから善!

法律違反は悪!!!

こんな風に私は考えていません。

 

 

そこで…

*拳銃を持つ事は悪い事。

*車に乗る事は悪い事。

この2つに違いが無い、または違和感を感じない、という話しをしました。

 

 


法律を守っていれば善!?


法律を守っている事が絶対的な善で、守っていない場合は絶対的な悪でしょうか?

 

先ほどの文章で、「車に乗る事は悪い事」という言葉に違和感を覚えた人が多かったと思います。

 

「拳銃を持つ事が悪い事なのは分かる。でも…」

「なんで、車に乗る事が悪い事なの?」

 

という具合です。

 

 

では次のような場合はどうでしょうか。

 

「警察官が拳銃を持つ事は悪い事か」

「運転免許証を持っていない人が運転する事は悪い事か」

 

どうですか。

 

 

 

おそらく、先ほどの文章の判断が逆になった(拳銃はOK、運転はNG)と思います。

 

要は法律で規制されている、または免除されている行為に対して善悪を問う場合は、その前提である許可証の有無が重要になってくる、という事です。

 

 

であれば

*人の体を鋭利な刃物で切る事は…

 

というのも、医師免許を持っていればOK。

持っていなければNGとなる事が解ると思います。

 

 

 

でも逆に許可証を持っていても次のような場合はどうでしょうか?

 

*運転免許証を持ち、道路交通法の範囲で車の運転を行っていたが、横断歩道を無視して道路を横断した老人を轢いてしまった。

 

この場合、交通弱者が守られ車を運転していた運転手の方が、前方不注意で罪が重くなります。

 

法律とは、ただのルールです。

 

私も車の運転はしますが、老人が無双状態で道路を横断する光景を見る事があります。

キッっと止まると、老人の方から睨まれる事もあります。

 

このような場合は、どうお考えでしょうか…!?

 

 

 


善悪の価値観は主体的


ですので善悪の判断というのは、主観、主体的であると私は思います。

個人個人の「善」があり、その善から逸脱した場合は「悪」である、という具合です。

 

と言う事は、日本の人口分の善悪が存在するのと同義です。

約1億2千700万人分の善や悪があるという事です。

 

社会通念上の善悪、というのも有りますが、そもそも「社会通念上」というのが漠然としています。

「道徳的」というのも同じです。

 

 

ですから法律を守っている、いないに拘わらず、善悪は必ず存在する事になります。

しかしそれも、主体的である…と。

 

何か釈然としない結論になってしまいますよね。

気持ち悪さが残るという感じです。

 

 

善悪を論じるにあたって、法律の遵守も、個人の判断も、どちらも「やり方」や「考え方」としては間違っていないと思います。

「やり方」や「考え方」が合っているにもかかわらず、結論として腑に落ちないという事は、そもそも『前提が間違っている』という事になります。

 

 

 

人間の社会は…そもそも善悪で語れるものではない!という事かな。

 

では何で論じる事が良いのだろう…?

 

そもそも論じる事自体が間違っているのかな…?

 

 

 

こんな答えの無い疑問を考えてみる、という頭の体操をしています。

 

 


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